ひな祭りのいわれ、お雛様を片付けるときにするべきこと
雛祭りは古代中国の行事「上巳節」がそのルーツでこの日に水辺で穢れを祓う習慣があり老若男女を問わず幸せを願う行事でした。
「ひな祭り」は平安時代の宮中行事として日本に定着しますがその大元は古代中国の祓の行事が日本に伝わったものです。本来は3月の最初の巳の日に行われる行事でした。紙やわらで作った人形に体を当て擦り息を吹きかけるなどして心身の穢れを人形に移し流す習慣だったことから、ひな人形がいつまでも祓い清められることなく長い間飾られることは避けるべきことで、「整理整頓ができない」ので「婚期が遅れる」などの俗信が生まれました。
江戸時代には五節供の一つとして幕府公認の式日となり、江戸時代も中頃になると豪華なひな飾りが登場し、その頃は「桃の節句」当日3月3日の翌日にお雛様にお供えする「節供蕎麦」があり、雛納めにそばを供えてからひな飾りをしまいました。
江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?(岩崎信也著)の中に
樟脳(しょうのう)をそばの次手に買いにやり(明和二年1682)の川柳
3月4日は雛仕舞の日ということで樟脳を売り歩く行商がいました、その樟脳は蕎麦のついでに買うということで、雛蕎麦は大切な習慣だったことが読み取れます。
とありこの頃にはすでに庶民の慣習でお雛様を守る樟脳よりもお蕎麦が大切でした。
「嬉遊笑覧」(文政三年1830)(江戸時代の習慣や風俗の考証書)には
今江戸の俗にひなを取をさむる時蕎麦を供ふ。何れの頃よりするにか、いと近きことなるべし。こは長き物の延びるなど云うことを祝ふ心に取たるなるべし。又金銭の殖るを俗にのびると云、故に三十日そばとて是をもてはやす。(中略)何れも同意なり。いずれも同じ頃より始まりしならむ。
と書かれていて、「雛そば」を縁起物として紹介しています。
現代語に訳すと・・・
最近江戸ではお雛様をしまうときにおそばをお供えしています。長いものは長寿や家門繁栄など縁起がいいので、またお金が増えることを「のびる」と表現するなど縁起がいいのでおそばをお供えします。晦日そばも同じような慣習です。
こんな感じでしょうか。
さて元々の意味を考えれば、人形に穢れを移して川に流すことから始まったひな祭りなのでお雛様をしまう前に穢れを清めなければなりません。その際おそばをお供えして穢れを清めてからお雛様をしまいます。本来川に流してしまう雛人形なので単純に樟脳などとともに片付けるのではなく、その前にお清めしてからしまうこと、つまり片付けることよりもお清めすることが大切で、そのお清めの際にお供えしたのが節句蕎麦・雛蕎麦でした。
参考文献
知れば恐ろしい日本人の風習 千葉公慈
江戸っ子はなぜ蕎麦なのか? 岩崎信也
「嬉遊笑覧」(文政三年1830)