日本そばの歴史と由来

そばの定義や表示方法は様々な条例や規約によって決められています。

農林水産省の「乾めん類の日本農林規格」で「干しそば」は乾めん類のうち、そば粉を使用したものをいう、となっていて、そば粉の配合割合は40%以上であることと明記されています。(第3条)

同じ農林水産省の「乾めん類品質表示基準」では、その配合割合が30%以下の場合はそば粉の配合割合を明記しなければなりません。
生めんについては、不当景品類及び不当表示防止法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約」で定められていて、「そば粉30%以上」の製品について「そば」の表示が認められています。いづれにしても「そば」と表示するためにはそば粉が入っていなければならないわけです。
そもそも穀物のソバの実を原料とする蕎麦が食されていたのは弥生時代とも縄文時代からとも言われ、古くからある食材です。その穀物の蕎麦の食べられ方(蕎麦レシピ)ですが、古い時代は「蕎麦粥(そばがゆ)」「蕎麦飯(そばめし)」から「蕎麦掻(そばがき)」さらに「蕎麦団子(そばだんご)」「蕎麦饅頭(そばまんじゅう)」などに多様化していきます、食材としての「蕎麦」に調理名を付けて献立名になっています。江戸時代後期(1800年代)に爆発的にヒットする日本蕎麦ですが当時の献立名は「蕎麦切り」でした。穀物のそば粉につなぎと水を加え薄く伸ばして細く「切る」ことから「蕎麦粉を延ばして切る」だから「蕎麦切り」なのですが、やがて「切り」が無くても通じる時代が来ます。

天明7年(1787)には65軒だった江戸の蕎麦屋が、万延元年(1860)の江戸奉行所の調べでは3763軒、その間に製粉、製麺、調理の技術向上と食材の変化があって広く普及します。これだけ蕎麦切りが普及すれば、蕎麦といえば「蕎麦切り」に決まってるよね~ということになります。

一方蕎麦粉の入っていないそばが増えるのは太平洋戦争が終わり、復員兵が増え始めたころからで、日本人が慣れ親しんだ日本蕎麦の歴史は古く、寿司、天ぷらと並ぶ代表的な和食・日本料理で、それに似た麺を「そば」と呼んだことが原因です。当時は「そば」といえば当然のこととして「蕎麦切り」が当たり前の時代で、似て非なるものもおおらかに受け入れたと思われます。

それが今でも「蕎麦」の入っていない「そば」が出回っている原因ですが、いまさら呼び方を変えろなんて無理ですが、古くからあった日本の蕎麦とは食材としての「蕎麦」を使った料理「蕎麦切り」なんだと覚えてほしいものです。
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