引越蕎麦とは~引越しと蕎麦の歴史

ある調査のよると「引っ越し蕎麦」を正しく答えられた人が45%、「引っ越し蕎麦」を利用した人は6%だそうです。引越しそばを御存じの方が5割を切っているとのことなのでざっと御説明しますと、江戸時代中期に広まった風習で、蕎麦は安くておいしい縁起物だからという理由から引越し先の向こう三軒両隣に2枚、大屋に5枚そばを配って「あなたのそばに越してきました、細く長くお付き合いください」と挨拶して回った、それ以前は小豆粥を重箱に詰めて配って挨拶した。引越の起源は飛鳥時代(592~710)冠位十二階が制定され冠位(位)が上がるたびに「引き越え」(ひきごえ)と呼ばれる屋敷の移動があり、位が上がればより広い、より天皇に近い場所に住居を移した。この引き越えが「引越」の始まりで、引越の文字としての意味は「引く」とは今の住居から退いて(引く)山(川)を越して新居に赴くという意味。

今では引っ越し専門の業者による引っ越しも数多く見かけますが引越専門業者ができる以前は運送会社などに頼んだり、地域の方や親類縁者、友達などで引越も助け合っていました。知り合いに手伝ってもらってお昼に「蕎麦でも食べようか」となって蕎麦を食べた昔の引越経験者はその時食べた蕎麦が引越蕎麦だと勘違いしている方も多いのではないでしょうか。本来の引越蕎麦は引越先のご近所への挨拶の蕎麦のことです。

それ以前、江戸時代の引越ですがまず農家は引越しません。土地から収入を得るのでその土地を離れませんし領主は年貢を納めてもらわなければならないので農家が引っ越す(他の領地へ移動する)ことは許しませんでした。つまり引越蕎麦は町民の習慣です。
引越蕎麦以前、引越の挨拶に重箱に小豆粥入れ配ったとされていますがこのお粥は「家移り粥」(やうつりがゆ)と呼ばれ、引越の時に作る小豆粥で、新築の際仮住まいからの引越を手伝ってくれた方にふるまうもので、引越蕎麦とはニュアンスが違います。

江戸は火事が多い ← ここ重要です!

引越蕎麦の歴史
火事が多い江戸ですが、庶民と富裕層では引越事情に若干の違いがあります。江戸時代お城も含めて建物は基本的に木と紙でできていたので一旦火事が起これば一気に燃え広がります。当時の火消しは家屋を壊して延焼を食い止めます。纏(まとい)はここでくい止めるぞ!の合図に使われ火元近くの家を取り壊してしまいます。つまり火事が起これば付近の家も無くなってしまいます。
大店(おおだな)等の富裕層は木材の備蓄や耐火構造の蔵などを備えて日頃から災害に備えていました。防災グッズや再建に必要な物資を備蓄すると同時に再建に必要な人間関係も大切にしていました
一方長屋暮らしの庶民は多少の備えでは火事などの災害時には役に立たちません。そこで物を持たないのが粋という文化が江戸っ子に芽生えます(江戸っ子は宵越しの金を持たない)物を持たないのでサービス業やレンタル業、リサイクル業などが発達しました(道具屋・損料屋(レンタル屋)但し、日本は閉鎖的でよそ者や和を乱す者には冷たく習慣を乱す者は「村八分」にされ生活できませんし、当時の引越は5人組の判が必要とされ長屋を借りるにも連帯責任で五人組の了承が無ければ入居できません、余談ですが五人組制度がやがて隣組制度に代わってゆきます、この制度はお互いを助け合う制度であり悪いことをしないための監視制度でもありました、この制度が向こう三軒両隣に挨拶するという形となってゆきます。また当時大家といえば親も同然、困りごと一切の相談にも乗っていましたので大家は人物をよくよく見極めてからでないと部屋を貸しませんでした。こちらも人付き合いを大切にしていざという時には助け合っていました。
庶民は物を持たないように暮らしていたので引越は簡単です。まづ、引っ越す前に今の家にある家財道具一切を近所の道具屋に売り払い手ぶら同然で引っ越し先に向かいます。江戸時代の借家は家具はもちろん建具や畳さえ無い「裸貸し」が主流でしたが引越先でも道具屋で必要な道具を購入する、あるいは損料屋で借りればよかったのです。さらに引越てすぐは何かと解らないことも多かろうということで近所が色々と面倒を見ていたとも言われています。

地震や火事などの災害は人の絆が大切なことを江戸に暮らす人々は熟知していました

一方蕎麦の歴史はというと、1600年頃の日本の人口は1000万~1400万(推定)江戸そばの始まりは4代将軍家綱(1661~80)の頃の「けんどん蕎麦」二八蕎麦は享保年間(1716~36)に現れ夜の蕎麦売りが「夜鷹蕎麦」と呼ばれ売り物はかけ蕎麦専門でした。その当時(1721年)の日本の人口2605万(享保6年)。寛延(1748~51)~安永(1772~81)にかけて江戸の蕎麦屋が増え始めます、天明7年(1787)の蕎麦屋の件数は653軒。文化(1804~17)当時引越蕎麦はすでに世間の常識となり弘化3年(1846)日本の人口2690万に対し、万延元年(1860年)には蕎麦屋が3763軒と爆発的に増えています。さらに18世紀後半には品質の良い醤油が大量に出回るようになりお蕎麦はより一層美味しくなっていきました。

さて本題の引越蕎麦の起源ですが・・・
江戸における蕎麦の始まりは「蕎麦がき」や「蕎麦団子」で御菓子屋さんのメニューでした。お菓子作りに蒸籠(せいろ)は付き物なので細切りにして蕎麦切りが生まれますが切れやすくいまいちの食感でした。その後つなぎ粉などの工夫改良がなされ美味しいお蕎麦ができるようになると蕎麦の専門店「蕎麦屋」ができます。人の絆を大切にする江戸の人々は当時としては珍しかった蕎麦を贈りものに選びます。贈り物の基本は相手に喜ばれるもの。江戸っ子は蕎麦が好きだから贈ると喜ばれ、だから蕎麦屋がどんどん増える。評判を呼ぶ蕎麦屋の出現で江戸っ子が蕎麦に群がり蕎麦屋がさらに増え、何かにつけて蕎麦をふるまうようになりやがて引越の挨拶に欠かせないものになってゆきました。ちなみに当時は「蕎麦切手」と呼ばれるギフト券も発行されその切手(券)を蕎麦屋に持ってゆくと茹でたての蕎麦が食べられるサービスも始められました。そんな当時の蕎麦屋の熱心さも手伝って「引越蕎麦」が広まってゆきました。
第一印象は大切です”引っ越したら早めの挨拶
「全く知らない」90%「顔見知り」70%「挨拶する間柄」30%「世間話をする」10%これは隣人の騒音で不快に思う人の割合だそうです。第一印象の良し悪しがその後の関係を左右するといわれています、そこで効果的なのが「引越の挨拶」引越てすぐにきちんと挨拶を済ませておけばこれから先の好印象につながります。インパクトも大きく特に年配の方の好印象に繋がる日本の知恵とも言うべき引越蕎麦、細く長くあなたのお側で、縁起物の蕎麦を上手に利用して好印象を持っていただけたら嬉しいですし、乾麺なら常温長期保存できるので最適ですリーズナブルな贈り物