長寿庵

長寿庵の歴史

長寿庵(ちょうじゅあん)は関東で最多の店舗数を誇る江戸の蕎麦屋で、「砂場」や「更科」と並び、蕎麦御三家、三大暖簾、三大蕎麦屋のひとつとされるべき老舗です。長寿庵の系譜は、どの店がどこからの暖簾わけかがはっきりしています。ここまで系譜の正確な暖簾会は他にはありません。自分の店がどの会派に属しているのか、そしてどこの店からの暖簾分けなのかをすべての長寿庵がわかっています。
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たとえば当店は采女会に所属し
明治10年に倉橋本店から暖簾わけされた栗田長寿庵(采女町)
明治40年に栗田長寿庵から暖簾わけされた栗田長寿庵(新橋)
昭和13年に栗田長寿庵から暖簾わけされた片桐長寿庵(東砂町)
昭和43年に片桐長寿庵から暖簾わけとなっています
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関東最大の暖簾会「長寿庵」は「東京のおそばやさん」(東京都麺類協同組合)というホームページで検索すると。長寿庵81軒・更科64軒・砂場37軒・藪7軒となっています。組合未加入の店があったとしても、関東最大の暖簾会であることは確かです。
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老舗の証、創業年ですが長寿庵は1704年・砂場は1584年・藪が1735年・更科は1789年なので創業年から言えば、砂場・長寿庵・藪・更科の順になります。創業者は三河(愛知)出身の惣七、元禄15(1702年)に上京しわずか2年で江戸の娘を嫁にとり江戸の京橋五郎兵衛町(現在の東京駅八重洲口付近)に「長寿庵」を創業しました。5代目が宗七に改名し、6代目が火災のため竹川町(銀座7丁目)に移転、その後昭和20年の東京大空襲で焼失、廃業に追い込まれまれ総本店を栗田長寿庵に託しました。
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長寿庵の創始者、倉橋宗七家を中心に年表を作ってみました
==長寿庵年表==創世期
元禄15年(1702)三河(愛知県)蒲郡出身の惣七が江戸に上京
元禄17年(1704)京橋五郎兵衛町に「長寿庵」開業
享保 2年 (1717) 焼失 復興
年代不詳    5代目「惣七」から「宗七」に改名
明治 3年(1870) 倉橋姓を名乗る「平民苗字許可令
明治 5年(1872) 焼失により銀座竹川町に移転(現:銀座7丁目)
明治10年(1877)采女町に栗田作次郎始めてののれんわけ(采女会)
明治30年(1897)采女町長寿庵より吉田寅次郎のれんわけ(十日会)
明治32年(1899)麻布四之橋に村奈嘉与吉、のれんわけ(四之橋会)
明治33年(1900)6代目宗七死去(49)
明治42年(1909)采女町長寿庵より五十嵐友五郎のれんわけ(実成会)
大正元年(1912)7代目宗七死去(36)
年代不詳    8・9代目娘婿により継承
昭和20年(1945)東京大空襲により焼失、廃業

銀座7丁目付近

明治5年~昭和20年・竹川町にモダンな蕎麦屋「長寿庵」がありました

==長寿庵四つの会派==
元禄時代に京橋五郎兵衛町に「三河屋惣七」が創業以来、栗田作次郎氏、村奈嘉与吉氏、を中心に順次のれんわけが行われ「采女会」「四之橋会」「十日会」「実成会」の4会派が生まれ、一時は関東一円に340店舗を数えるほどでした。昭和25年に「長睦会」から「長寿会」と改名し、平成14年に法人組織化し「長寿庵協同組合」となり「長寿庵」の屋号は現在登録商標となっています。

旗の台・長寿庵総本店

旗の台・長寿庵総本店

===1采女会===
明治10年に倉橋総本店から最初にのれんわけされた栗田作次郎氏は采女町(現銀座5丁目)に出店しましたが、昭和20年の東京大空襲により焼失します。その後目黒駅の近く(大崎2丁目)に再開し廃業を決めた倉橋家より総本店の座を託され、現在は旗の台に移転しています。
栗田長寿庵からは明治30年に「十日会」の吉田作次郎氏が、明治42年に「実成会」の五十嵐友五郎氏がそれぞれのれんわけされそれぞれの会派を創設しています。
吉田。五十嵐両氏以外に栗田長寿庵からのれんわけを許された子分け、孫分けの店が現在の采女会の会員となっています。

(茅場町・長寿庵)吉田氏
(赤坂・長寿庵_三日会)渡辺氏
(木挽町・長寿庵_正長睦会)天野氏
===2十日会===
明治30年に采女町の栗田氏からのれんわけを許された吉田寅次郎氏が日本橋茅場町でレストラン風の高級店を開業し、昭和2年に吉田氏からのれんわけした渡辺藤蔵氏の「赤坂長寿庵」を中心とする「三日会」と昭和10年に木挽町で開業した天野正吉氏の「正長睦会」の2つの会派が誕生しました。この2つの会派をあわせて「十日会」となっています。

(四之橋会)
===3四之橋会===
明治32年に総本店(倉橋氏)からのれんわけが許された村奈嘉与吉氏が麻布四之橋で開業したことから「四之橋会」を作りました。村奈嘉氏の弟子を中心に子分け、孫分けの系列店が四之橋会会員となっております。残念ながら村奈嘉氏の店は空襲で焼失した後与吉氏2代目の与三氏が上野で再開しましたが故人となり今は廃業しています。
村奈嘉与吉氏は、石川県出身で、郷土から呼んだ親戚・知人の師弟が従業員の主流となることから四之橋会は石川県出身者が中心となっています。

(両国・長寿庵)
===4実成会===
明治42年に采女町の栗田氏からのれんわけを許された五十嵐友五郎氏が両国橋の東詰で開業しそこからののれんわけした店を会員とするのが「実成会」です。通称「両国長寿庵」ですが住所は中央区東日本橋です。五十嵐友五郎氏が新潟県出身のため実成会は新潟出身者が多いことが特徴のひとつとなっています。

旗の台・長寿庵の看板

長寿庵総本店の看板


各会派の流れを年表をにしてみました
==長寿庵年表==
明治10年(1877)采女町に栗田作次郎始めてののれんわけ(采女会)
明治30年(1897)采女町長寿庵より吉田寅次郎のれんわけ(十日会)
明治32年(1899)麻布四之橋に村奈嘉与吉、のれんわけ(四之橋会)
明治42年(1909)采女町長寿庵より五十嵐友五郎のれんわけ(実成会)
昭和20年(1945)東京大空襲により総本店の座を倉橋氏より栗田氏に託される